raraeto’s blog

競争のゴールも、棄権の仕方もわかりませぬ

マブダチ、ボクタチ

こんにちは

最近は昼夜逆転が酷くなってて、休みの日は朝4時くらいに寝て、午後2時とか3時に起きてる。平日は目覚ましで頑張って12時とかに起きてる。気づいたら午前2時だ。なんてことが毎日。なんでこんなことをしているのか分からない。早く寝れば良いだけなのに、何故か起きていたくなる。スマホ触っていたくなる。

 前期の時みたいな、針を毎秒体のどこからに刺されているみたいな苦しさはなくて、ただ心臓が一日の中でギュッと締め付けられたり(恋してる訳じゃない)緩められたりする繰り返しの苦しさになっている気がする。自分のことすらよく分からない。

 文章を書くことも苦痛になってきた。なぜなら、僕はいつも"読者"を欲しているから。他人が怖いなんて言うくせに、名誉欲だけはとてつもなくて。他人に認められたくて仕方ない。何も無い自分が苦しくて仕方がない。

 何だっていいんだ。小説家になって優れた物語を書いて名を残そうが、研究者になってノーベル賞を取ろうが。権威が欲しい。誰かが認めてくれるような権威が。

 僕は欲しがりなんだ。家族は多分僕を愛してくれているし。これはとても得がたいものだ。でも、血縁以外の根拠の愛が欲しい。1生2人見合っていたい。

 そう言うけれど、多分そのような人が一人出来たら、僕は2人目を欲してしまうような気がする。人の凶暴性を見るのは嫌いなのに、自分の凶暴性には目を向けられないんだ。どうしたらいいかなんて、今更聞かない。

 諦めたいんだ。でも、諦め方が分からない。こだわらないことにこだわる?福部里志みたいなことにならないだろうか。でも彼は伊原に愛されていたっけ。やっぱり愛だよ。人を救うのは。

 僕はまだ自分を諦めきれない。なにか名を残して、インタビューにドヤ顔でそれっぽいことを言ってやりたいものだ。苦しいね。

結局、僕達誰も、他人を批評できるほどの人格者じゃないんだ。感情なんて無くして、みんなロボットでいいと思う。つまらないかもしれないけど、それが一番平和だと思う。僕達、みんな、マブダチになれる?

 いまは、大過渡期だと思います。私たちは、当分、自信の無さから、のがれる事は出来ません。誰の顔を見ても、みんな卑屈です。私たちは、この「自信の無さ」を大事にしたいと思います。卑屈の克服からでは無しに、卑屈の素直な肯定の中から、前例の無い見事な花の咲くことを、私は祈念しています。

                                 太宰治『自信のなさ』

 

太宰がこう書いてから100年がたった。僕たち結局、何も変われちゃいない。